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チャレンジャー号、オネアミスの翼、日本人初宇宙へ

米ソの冷戦とは、宇宙開発の競争でもあったようです。

1986年、悲しいことに「チャレンジャー号爆発事故」がありました。

チャレンジャー号爆発事故 - Wikipedia

 

そのことを考えますと、翌年の1987年オネアミスの翼の公開というのは、今だったら不謹慎と言われているかもしれません。

ガイナックス制作。

音楽は坂本龍一。

王立宇宙軍 オネアミスの翼 - Wikipedia

良い映画です。 

 

1990年、日本人として初めて秋山豊寛氏が宇宙へ。

音楽は「Save Our Ship」松任谷由実。

日本人初!宇宙へ - Wikipedia

1989年3月にTBSがソビエト連邦宇宙総局に1400万米ドル(約20億円)を支払い、宇宙飛行士搭乗に関する協定を締結した。

 

ひとやす、くい入るようにテレビを見ました。

冷戦のことも考えず、バブルということも考えず、ただただ宇宙へ憧れたのです。

 

ちなみにですが、本来は毛利衛氏が日本人として初めて宇宙へいくはずでしたが、チャレンジャー号事故のため延期となり、秋山豊寛氏と順序が逆になってしまったそうです。1992年に毛利衛氏は宇宙へ。

 

以下は毛利衛氏の言葉。

挑戦することに、年齢は関係ないですよ。

90歳でカンバスに向かう老芸術家だっている。

精神的な年齢に、老いも若いもないんです。

 

92年、44歳で宇宙に飛び出し、

その後、およそ8年間のブランクをへて、

再び宇宙へ再挑戦しました。

52歳で飛んだ2回目は、11日間宇宙に滞在しました。

 

多くの人から、何かにチャレンジするときに、

気持ちが続かないと聞きますが、

それは、心の底から、おもしろがらないからじゃないでしょうか。

 

そして、

宇宙からは、

国境線は見えなかった。

 

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