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無能な人間のための人生戦略大全 (6)

こんにちは、ひとやすです。

「無能な人間のための人生戦略大全」の第6回目なのです。

有能の定義

さて、前回は人生戦略の方向性として「有能になる」というのを想定してみました。果たして、無能な人間は「有能になる」ことができるのでしょうか?きっとできないのです。しかし、それでは話しが終わってしまうので、もう少し考えてみるのです。

ところで、「有能になる」の有能は、どのように定義しましょう。

ひとやすは、世の中のほとんどの人がまあ「サラリーマン」になると思うのです。「サラリーマン」でなくても良いのです。「フリーター」でも「パートタイマー」でもいいのです。

世の中のほとんどの人が、まずは誰かに雇われて働く人生を選ぶでしょう。しかし、日本の教育現場では「働く」ということが教えられることはありませんね。

きっと、世の中のほとんどの若者は「働く」ということをキチンと考えることなく社会に放り出されるのです。

もちろん「人生」=「働く」ではありません。

「働く」とは何か?それは「社会貢献」のためかもしれません。「顧客満足」のためかもしれません。「働く」ということには、単にお金を得るというだけでなく「高尚な何か」も含まれているでしょう。

と、いろいろと前置きをしましたが、「働いていく」うえでどうしてもつきまとうのは『「出世」できるかどうか?もしくは「出世」するべきかどうか?』ということが一つのテーマとして存在しているのです。

「働く」ということについて

「働く」は人によって考えは違うでしょう。もちろん単に「お金のため」というのも悪くありません。「社会貢献」とか高尚なことを考えるのも素晴らしいことです。

また、「有能」=「出世」ではありません。ただ、会社員として働く上での評価は「出世」という形で表されるかとは思うのです。

自分は「出世」なんて興味ありません、と考えていても、社会人として生活しているといつのまにか「出世」したいと思うようになったりするのです。

「有能」かどうかは、おおよそ他者からの判断でなされます。自分で自分のことを評価して自分を「有能」と思える「自己効力感」の高い人は良いのです。しかし、多くの人は他者からの評価を気にし、承認欲求を満たしたいと考えるのです。

そのため、人生戦略を考え、社会で働いていくうえで自分は、「出世」したいのかどうかということは、きちんと考えておいた方が良いと思うのであります。

よって、「有能」=「出世」ではありませんが、「有能になる」というのを「出世する」ことと捉えてみたいと思うのです。

「有能」=「出世」ではないというのもミソです。「有能」=「出世」なら「無能」な人間はもとより「出世」などできないわけですからね。

まあ、「無能」な上司をもった部下はたまったもんじゃないでしょうけれども。でも、世の中、「無能」な上司ばかりかもしれません。「無能」な上司をもった方は、頑張ってくださいと無責任なことを言っておくのです。

ところで、「無職」のお前に言われたくないと思われることでしょう。ごもっともなのです。ただ、「出世」ということをキチンと考えていなかったことも、ぼくが無職になってしまった一因かなとは思うのです・・・。

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